神高教シニア運動のさらなる発展をめざして

第5回定期総会開催される

 「第5回定期総会」に掲載

2010年度の運動方針

 「第5回定期総会」に掲載

第5回定期総会宣言

 「第5回定期総会」に掲載

神高教シニア運動規約の改正

 「第5回定期総会」に掲載
 

日退教関東地区
第32回定期総会が開催される

 「報告」に掲載

第39回日退教定期総会開催される


「報告」に掲載


「シニア運動」年間活動(2009年度)

 「過去の活動」に掲載

会員からの便り

日退教 中国・四川教育視察交流団に参加して

藤見睦彦(06.ひばりヶ丘) 
去る3月、日本退職教職員協議会が主催した中国・四川教育視察交流の旅に行ってきました。2008年5月12日、四川省?川県を震源とするM7.8の大地震が発生しました。この大地震は死者68、617人、行方不明17、923人、負傷者363、122人を出しました。日退教は地震直後、災害支援カンパを全国に募り、集まった100万円のカンパを、その年の12月に什?の??初級中学校に代表団が訪れ贈呈しました。今回の旅は、その延長線上で生徒たちと再会し友好を深めると同時に、大地震の各地の状況を視察し、文化を学習することを目的としました。交流団は成田組10名、福岡空港組11名、計21名の退職教職員と通訳1名で構成され、四川省の省都である成都に向かいました。 3月18日、成都中心部からパスで2時間位のところにある什?市を訪問。中国政府は全国の主要都市に被災地の復興を援助することを義務づけ、什?市は北京が担当することになりました。什?市に近づくと北京大道と名づけられた片道2車線の舗装道路を走りましたが、以前は畑だったところに作られた道路でした。頃は春だけなわ、菜の花畑が続く道路沿いに見られる民家は建て直された新築の家がめだちます。市内にはいると中心部は被災した様子が余り目だたず、人々の往来も活発でした。 ??中学校は被災時、54名が死に、90名が負傷したそうで、現在、身体的・精神的に重傷を負う者が10名残っています。これらの生徒を含め何らかのダメージを受けた100名位の生徒が今もケアを受けているそうです。在籍生徒は900名ですが1/3強の生徒の家庭が地震のため経済的に困窮し民間団体の支援を受け学校全体で応援していると校長が話していました。先方の都合で学校の訪問はできませんでしたが、 市の教育委員会の会議室には30名の代表生徒や 職員が来てくれて訪問団と再会を果たしました。 今回は50万円のカンパと文房具を贈りました。授業中に地震が起き、階段下に友達といた時に校舎が倒壊し埋もれて足を怪我したが助け出されたこと、仮教室を建て勉強したが、冬は寒く水もあって大変だったこと、地震の4時間後に近くの??小学校に温家宝首相が見舞いに来てくれたことなど、こもごも話してくれました。 今回の5泊6日の旅は、参加者が60代、70代ぱかりでしたので見学地を欲張らず、ゆっくりした旅でしたが、いずれも世界文化遺産の都江堰、楽山大仏、峨眉山を巡ることができ、被災地の観察、被災生徒との交流ができ有意義な旅でした。

      ★☆★シ☆ニ☆ア☆ラ☆イ☆フ ★☆★

たぶんかフリースクールよこはま」を立ち上げて

                                                   井草まさ子(09.鶴見総合)

 はじめに       
 神奈川の外国人登録者数数は174、352人(2008年度)で あり、県民の19%を占めている。様々な理由で入国した 「外国につながる生徒」が高校に入学し始めて20年以上が 経過する。時の長さに比例し、施策の遅れは随所に見られる。日本人の高校進学率全国平均96%という現在に於いて、外国につながる子どもの進学率は不明である。神奈川では、50%とも言われているが信頼のおける調査に基づいたものでない。筆者は、「外国人の教育を考える小委」(以下外国人小委とする)の一員として「外国につながる人たちの教育を受ける権利」を守るための活動に身を置いてきた。その一つが、「多文化共生教育ネットワークかながわ」が行ってきた「日本語を母語としない人たちのための進学ガイダンス」や「ネ申奈川外国人教育相談」、「外国につながる生徒交流会」等である。
1 たぶんかフリースクールへの経過
 先の「外国人小委」は「多文化共生教育ネットワークかながわ」(以下M E-netとする)という委員会スタイルで1995年全国に先駆けて「日本語を母語としない人たちのための高校進学ガイダンス」を開始した。その第一回の課題として、「外国につながる子どもの教育」に対応できる恒常的な相談窓□の設置の必要性を感じた。その念願が叶い「神奈川外国人教育相談」が立ち上がったのは8年後2003年のことである。先の進学ガイダンスやこの教育相談で、「学齢超過のために中学に入れない」「中学は卒業してきたが、日本語や高校受験に向けて学ぶところがない」という声が寄せられるようになった。その都度東京の「たぶんか フリースクール」や知りあいのボランティアの「補習教室」を紹介してきた。前者のフリースクールは、三河島に位置し神奈川に住んでいる子どもが通うには遠く交通費もかかりすぎる。補習教室に関しては、高校受験に対応できるところは限られている上、その性格上勉強をさせる時間が十分とれない状況である。
このような状況下では、自分たちで立ち上げる以外に選択肢はないのでは、ということで「たぶんかフリースクールよこはま」を設立することになった。
2たぶんかフリースクールよこはまこのような状況の子ども達の高校受験に対応する「学びの場」として、同時に同年代の子どもたちの「居場所」としての学校を設立することとなり、2009年9月に「たぶんかフリースクールよこはま」を開校し、授業を開始した。7年前に立ち上げられた「たぶんかフリースクールとうきょう」の姉妹校としてのスタートである。
授業は週3日、1日3時間、指導科目は日本語、国語、数学、英語である。指導にあたっているのは、中学高校の教員免許所持者、日本語学校での長期指導経験者である。さらに、M E-netから、教育相談員、現職高校教員や大学職員、さらに「通訳」「カウンセラー」として、中国語母語話者等の援助も受けている。授業は、教科ごとに能力別に分けた3クラスから4クラスで行っている。
2009年度の生徒は16人、中国・フィリピン等の出身であった。9月当初緊張していた生徒たちも6ヶ月で、すっかり打ち解けクラスメートとして互いの存在を認識するようになった。母語の異なる生徒同士が、授業中には教え合い、休み時間には楽しそうに歓談している光景を眼にするようになった。猛勉強?し、幸いにも全員合格することができた。
浦舟複合福祉施設の8階9階10階の施設を借りて活動しているが、毎時間それぞれのクラスに合わせて移動するのは、生徒ばかりでなく、教員も煩雑で大変である。
また、教材や教具等を置く場所も限られ、不自由である。しかし、生徒たちにとっては、日本社会との接点でもあり、一般の方に存在を知っていただく良い場所でもある。
始めたばかりでもあり、また生活言語を十分に習得していない生徒にも、教科学習に取り組ませているので、毎日悪戦苦闘の連続である。日本語を仲介できない授業の難しさを痛感している。理解していると思い、授業を継続し、だいぶたってから、思いもかけない展開になっている場面を何度も経験した。ことに漢字や英語の通じない母語話者は非常に大変である。毎回授業研究が必要とされる。課題は山積しているが、生徒たちのひたむきな真面目さと明るく楽しそうな姿に、気持ちを新たにしている毎日である。
おわりに
 「外国につながる子ども」は私たちのこれからの社会を担う貴重な人材である。彼らが持っている能力を発揮し、日本であるいは地球上のどこかで、自分の「居場所」を見つけて自信を持って生きていくことを、私たちは切に望んでいる。このような視点に立って今後も活動を続けていきたいと考えている。 筆者が長きに渡ってこうした活動に係わってこられたのは、「外国につながる子どもたち」から元気を得られていたことと、様々な方とのネットワークの中で、有形無形の協力を得られてきたからである。そのことにより、筆者自身が「居場所」を見つけられたことに他ならない。 本稿をお借りしてお礼を述べたいと思う。なお、この原稿をお読みの方々の中で、、「数゙学」「英語」「国語」「日本語」や「進路指導」その他、中国語や英語以外の言語のサポートができる方は是非ご一報頂きたい。
皆様のサポートをお待ちしております。     (たぶんかフリースクールよこはま いぐさ まさこ)