神高教シニア運動で現職を応援しましょう 

会員・現職の課題解決を目指し運動へ積極的に参加しよう

 神高教シニア運動は、 2006年 5 月27日第 1 回定期大会を開催して、 規約・役員の決定、 引き続き06年度運動方針を決定するなどして発足しました。  神高教の支持・連帯の中で発足した神高教シニア運動は、 その運動の目的を 「この会は、 神高教とともに会員相互の生活の安定を図り退職者にかかる諸問題の解決のため運動を進める。 また、 神高教運動の前進及び社会的公正の実現を目指す」 としています。  発足 1 年目の2006年度は、 既退職者96名と2005年度末退職者134名計230名の参加を確認いたしております。 今後毎年の神高教退職者が参加する事となりますので組織的な発展は十分に展望できる所にあります。 具体的な運動としては、 なんと言っても教育基本法改悪反対運動に積極的に参加したことです。 10、 11月に国会前座り込み行動をはじめ諸行動に参加し、 特に現職の方が参加しにくい勤務時間内の行動において支援の活動ができました。 残念なことに教育基本法は、 改悪されてしまいましたがこのように共に行動ができたことは、 発足の意義を具体化するものとして評価できるものです。 ただ発足まじかなこともあり 「意あって行動ままならず」 状況もあり今後の会員の皆様の奮起を期待しております。 また全国・神奈川県内の各退職者会の皆さんとの交流も始まりましたが、 9・14、 15の 「全国高齢者集会」 での行動は、 退職者パワーを見せ付ける心強いものでした。  2006年度末、 神高教組合員で定年退職の方は、 110名程度、 これに加えて勧奨の方が相当程度と推察されます。 神高教退職の方は、 全員神高教シニア運動へ参加いただくこととなっております。 今日の医療・介護・年金などの問題には、 退職者・現職の一体となった運動が必要です。 また教育基本法改悪による職場の教育状況悪化に抗し教育改革を進める取り組み、 更に憲法改悪を許さない闘いなど私たちにとっても重要な取り組みが想定されます。 是非皆さんの力を結集してそれらの課題が私たちの要求に沿って解決するように取り組みましょう。  (山際 正道)


国会参院議面前の熱気の中で

 −教育基本法改悪反対行動−

 昨年12月14日午後6時5分頃、 参議院教育基本法特別委員会で 「改正法案」 が強行採決され、 与党自民・公明党の多数により可決した。 夕闇がすっかり周囲を覆い、 冷たい風が通る参議院前だが、 議面前の通路には立錐の余地がないほどに人で埋まった。 「特別委通過」 の報が伝えられると、 通路一杯の人々から叫びともうめきとも付かない声があがる。 「リーダー」 (どこの誰か分かりませんが) が、 「強行採決糾弾!」 のコールをあげると、 「ため息」 を飲み込んで 「教基法特別委の強行採決糾弾!」 と応じる。 声の限り怒りを表そうとする真剣さが伝わってくる。 「ああ、 この真剣な怒りをぶつける熱気は、 何十年ぶりだろうか」 と思った。 リーダーは、 「来週の参院本会議が最後の山場。 野党の結束が持続できれば、 本会議での阻止は可能」 と座り込みの持続を訴えた。 突然、 私の前にいた年輩の女性が叫んだ。 「日教組は、 ストライキで闘え!」 と。 私は思わず、 「ストで闘え」 と呼応し拍手した。 しかし、 私外に応じた人はなく、 白い目が突き刺さった。 翌週、 月曜日から参院議面前は朝から座り込みが続いた。 現役の労働者は、 組合の動員参加であろうから、 昼間からの参加は 「年休」 を取っての参加であろう。 旗や横断幕から、 北は北海道から南は沖縄・九州まで全国の教職員組合や市民団体が集まっていることが分かる。 マスコミはほとんどこの国会前の集まりを取材しないし、 報道しない。 「シニア」 年齢も多かったが、 20代後半と思われる若い人も目に付いた。 学生運動の団体も連日アピールを繰り返していたが、 「60年代を知る」 者にとっては、 「アジ (テーション) もずいぶん変わったものだ」 と思わせる。

教育基本法改悪することの意味

 既に様々な場で、 多くの識者が指摘するように、 教育基本法改悪は、 「防衛庁の省昇格」 による 「自衛隊の海外派兵本務化」 とともに、 「戦争ができる国家」 =安倍首相の言う 「美しい国」 として、 「憲法改悪・9条改悪」 に収斂させようとすることだ。 この結果も確かに重要なのだが、 私は 「この改悪反対の闘い」 の広がりと深さに注目した。 「いじめ」 「未履修問題」 には、 百家争鳴の世論が喚起され、 百人百葉の 「評論」 が登場している。 投書欄には中学生や高校生の投書も目に付く。 私は、 現職時代に出会った生徒諸君あるいは自分の子ども達に、 どのように教育基本法の 「前文と第1条 (教育の目的)」 だけでも伝えていた (教えていた) だろうか。 専門教科の建前で、 「本当に伝えたいこと」 を 「伝えていなかった」 のでないだろうか?伝えたつもりでも、 「文言だけ」 で 「心・生き方」 に響いていなかったのでないだろうか。  戦後生まれの総理が、 「戦争ができる」 「美しい国」 をめざす」 と言うとき、 「戦後教育の失敗」 を総括し、 「現場からの新たな出発」 をめざさなければ・・・と思った。 「現役の支援」 という役割がシニア運動にあるが、 自らが生きている証としての闘いであり、 次の世代に繋ぐ 「心からのメッセージ」 でなければならないと思う。              (横山 滋)


神奈川シニア連合第15回総会開かれる

 −2006.11.24− 於:ワークピア横浜

 加盟後初の総会に代議員として参加した。 「神奈川シニア連合」 は23産別3万5千人を組織、 我々は 「県退職女性教職員の会」 と共に産別 「神教協」 を構成している。 議案書は活動方針が18頁、 全体で46頁にわたる堂々たるもの、 幹事会から 討論 に参加したが 闘士健在なり の感あり。 来賓挨拶が1時間ほど、 会場はほぼ満席であった。 財政基盤の脆弱さの克服 (自主財源割合16%程度) が課題とされた。 スローガン 高齢者が安心して暮らせる地域社会を創り上げよう を採択、 組織強化 (5万人を!) と現職との連帯を宣言し、 大会は定時に無事終了した。       (地代所 達也)


★☆★シ☆ニ☆ア☆ラ☆イ☆フ★☆★

チョークを鍬に持ちかえて

 −− 「農 (みのり) の寺子屋」 −−

  高 橋 智 彦 (05・川崎北)

 退職してしばらく非常勤講師を務めていたが、 それも終わり、 悠々自適の生活も少々飽きてきた頃、 たまたま立ち寄った市民館で 「農 (みのり) の寺子屋」 塾生募集のチラシを手にした。   「農の寺子屋」 とは川崎市の農業振興センターが麻生区黒川地区の農家の協力を得て立ち上げた事業である。 黒川は麻生総合高校の近くで、 まだまだ田畑が多く残っている。 この地区もご他聞にもれず、 農業者の高齢化、 後継者不足で将来が危ぶまれている。 農業の新しい担い手として援農ボランティア育成のため二年間にわたって地元の農業者の指導のもとに研修を受け、 研修終了後は人手不足の農家へ手伝いに行ったり、 福祉施設の園芸指導といった活動に従事するという条件であった。 もともと農業や園芸に興味を持っていたが、 60歳を超えての農作業を2年間、 その後も農家の手伝い、 果たしてどこまでやれるかなという危惧はあったが、 家人にも相談せず応募した。  塾生は16名、 退職した人が大半であるが若い女性や70半ばの男性もいる。 2006年の4月早々鎌や鍬、 教科書 (農業高校で使用しているもの) を購入し、 研修が始まった。 最初の研修は生憎の雨模様、 屋内で病虫害についての講義を聞くことになった。 途中から晴れてきたので農家の竹林でたけのこ狩りとなった。 5月に入ると作業も本格化し、 指導者が2・3名ついてキュウリ・トマト・ナス・ピーマンなどの苗を植え、 除草・手入れなどに追われることになった。 なにせチョークより重いものを持った事がなく、 わずか5分ぐらい鍬を振るっただけで結構疲れる。 はたして夏場を乗り切れるかなと心配していたが、 だんだん慣れてきて、 作物の成長とともに畑に通うのが楽しみとなり、 毎日の天気が気になるようになってきた。 雨や炎天下での作業は決して楽しいと言えるものではなかったが、 季節や天気の変化を体感する事ができ、 特に収穫のときは足も弾んで知人に野菜を配り歩く楽しみも生まれてきた。 また農家の方と作業しながらの何気ない会話が心に響いてくる事がありました。 一つ紹介しておきます、 作物は人の足音を聞いて育つ。 会議や書類作りに追われる教育現場にもあてはまる格言ではないでしょうか。 冬場は堆肥作り、 里山の管理などの作業を行っており、 春から始まる作業を楽しみにしています。 また、 農業は今教育現場の先生方が苦慮されている 「総合」 の授業にはまさにピッタリではないかと思います。  最後に、 これから 団塊の世代 が大量にリタイアーする時期を迎えますが、 「シニア運動」 ももっと組織化して、 学校現場を色々な形で支援できるような体制を作っていけたらいいのではないかと思います。


趣味と実益と貢献がめざせるか

 −− インターネット販売の古本屋の開業 −−

 大 石 忠 雄 (00・麻生高)

 本には、 探す、 見つける、 買う、 読む、 蔵するに加えて、 売る楽しみがあるといわれますが、 古本屋は、 この全てを充たす商売ということになりましょうか。   「古本屋」 には、 「古物営業法」 により、 盗品などの犯罪被害品の売買防止から 「古物商免許証」 が必須で、 東京法務局に出かけ警察署に申請して 「公安委員会」 から交付されたのは、 退職1ヶ月後の5月末でした。 開業に備えた品揃えや持続的補充の必要と情報の入手を考えると、 「古書組合」 に入るのは必然で、 加入には新会館建設への出資金を含めて100万円余が掛かりました。 趣味の実現の一時出費としては痛かったのですが、 組合役員面接で 「お客相手だけでなく、 古書市場の売買でも回収することですよ」 と慰められました。 そして、 六年後の昨年の3月末にようやく決断して、 全古書連運営のインターネット販売サイト 「日本の古本屋」 に加入し、 開業したのです。  それから10ヶ月後の今、 出品した約1500冊のようやく1/3が捌けましたが、 その1冊あたりの単価は専門店がめざす額の半分の1500円にもならないでしょう。 月々の組合費、 インターネット利用に伴うサイト・ブロバイダー経費などをひねり出すのも難しい売り上げですが、 その苦しみを癒してくれるのは、 本を探し、 それを売るという行為の中で得られる自己満足・達成感 (?) と購入者との遣り取りでしょうか? 先日には、 再刊本ではなく戦後の粗末な仙花紙の元本を注文してきた女子院生に、 その著者の追悼文を掲載した新聞切り抜きを同封して送付したところ、 その記事が指導教授と話題になり 「当時の様子がうかがえる」 と喜ばれた由の返信があり、 次の再注文にもつながって、 送り甲斐があったと得心しました。 また、 学生に、 汚損本を送った人の送料無料扱いしたメール文案を借用して作成した注文確認メールを、 うかつにも送料無料の部分を消し忘れて発信してしまい、 私のミスではと請求を諦めたのですが、 その学生から 「歴史を学ぶものにとって、 古書はかかせません。 古書の流通に関わっておられる方々のおかげで勉強を続けることができます。 今後ともよろしく…」 といったお礼メールが届いた時には、 もう先のミスを忘れて、 次の注文の時にはどんなサーヴィスをしようかと考えてしまうのです。 そして、 注文書が教育関係の場合には、 教育研究所の 「ねざす」、 「教育研究所ニュース・ねざす」 とか県民図書室の 「共同時空」 を重量制限の許容範囲内で勝手に同封しています。 研究所・県民図書室の存在と活動を広く知ってもらう一助になればという思いからです。 このようなおまけの対応に購入者が喜んでくれる反応が数少なくても、 古書への関心を広げる契機にもなってくれれば嬉しいことです。  もちろん、 この楽しみを私が享受できる土台には 「年金生活者」 という立場があり、 また、 専門店の人々が温かく見てくれる環境と古書市場があるのです。 市場は、 本の売買売却を通して、 その評価を知り、 その変化を掴む場であり、 また、 古書店や蔵書者の生き様を教えられたり、 希少な書籍・作家原稿・美術作品から骨董品を手にとって見る機会でもあります。 先日の市場に、 愛書家仲間で幻の挿絵入り限定本との評判の本が数十年ぶりに出品されて、 セリ売りにかけられ、 数万円から始まったセリ値が、 後に落札した古書店が500万円で売りに出したのですが、 その額近くで落着した時には、 固唾を飲んで成り行きを見守っていたギャラリーから拍手がおきましたが、 その緊迫感は近来にないものでした。 また、 昨年逝去した大学の先輩の歴史研究者の蔵書が故人の遺志ということで再び古書の世界に出てきた時に、 評価の低くなる書き込み本を教え子たちが恩師の研究軌跡を偲ぶものとして、 喜んで購入したという記事に出会い、 その本たちのほのぼのとして恵まれた復活を祝福したい気持ちになりました。 しかし、 他方では、 入札札が一枚も入らずに一括り100円の処分ラベルを貼られて破棄される本たちもあるのです。  このように古書店は、 本を探す、 見つける、 買う、 読む、 蔵する、 売るに加えて、 その復活再生か破棄滅失かの選択決定権を持っているのです。 これからも、 多くの趣味心と僅かな実益と少しばかりの貢献を果たすべく、 本を生かし、 本に生かされる関係を持続させながら、 本と対話し、 購入者とのメールの遣り取りをして販売できればと思っています。