| 日退教 東アジア海外研修旅行「成都・重慶の旅」に参加して 樋浦 敬子 日退教の「東アジア海外研修旅行」は、2014年から本格的に始まりました。 第1回 2014年 西安・洛陽 第2回 2015年 韓国、明成皇后120年忌辰祭参加、安重根記念館 第3回 2016年 哈爾浜・瀋陽・撫順戦犯刑務所・平頂山惨殺記念館 第4回 2017年 大連・旅順 日露戦争戦跡、安重根処刑の旅順刑務所 第5回 2018年 北京・南京(南京虐殺記念館、日本軍慰安所陳列館) 第6回 2019年 3・1独立運動100年特別企画 ナヌムの家訪問 ※2020年~2024年 コロナの影響で中止 私自身は、第3回から続けて参加していています。またこの日退教のツアーをコーディネートしている旅行社「グローシーズ・サポーツ」の尾崎明子さんは、志を持った中国旅行のプロで、毎回日退教の要請に応えて、現地の研究者や日本語を学ぶ学生との交流なども組み込んだ充実した企画を提供してくれています。 2025年.コロナ禍で延期になっていた日退教東アジア海外研修旅行が再開されました。今回は日退教50周年企画「無謀な日中全面重慶空襲85年へ」がテーマでの募集でした。10月20日出発でしたが、時期が少しずれていたら、日中関係の悪化で実施が困難になっていたかもしれません。 10月21日は、このツアーには珍しく「観光」メイン。まず「成都パンダ繁育研修基地」へ。自然の広大な土地の中で「繁育研修」が行われていました。基地内は、人混みがすごく、アップダウンの続く見学通路でしたが、パンダにも無事会え、四川に行くならやはりパンダ様(ガイドさんが揶揄を込めて繰り返していました)だよねと、満足。外交のカードにまでなっているパンダを預かる「基地」の皆さんへの重圧 、大変さもよくわかりました。帰国後、パンダの返還で大騒ぎ。良い記念になりました。続いて武侯祠。三国志の知識が貧困な私は、ただ一行に後れを取らないようにと必死で、ひたすら歩いた記憶しかありません。ここも大変な人混みでした。 22日は、成都から重慶まで高速鉄道で移動。重慶の現地ガイドは1977生まれの若い男性で、ご自分の生まれたころは、「一人っ子政策」のさなか、どうしてももう一人子どもが欲しかった親御さんは「罰金」を払って兄弟が生まれたそうです。現在の自分は、これからお金がかかることも考えると、一人っ子で十分だそうです。中国も少子化は深刻になりそうです。こうしたガイドさんの話も素顔の中国を知る良い機会となります。 午後は「大隧道惨案旧跡記念館」へ。2006年提訴の「重慶大爆撃訴訟」の原告団や関係者の皆さんと一つのテーブルを囲んで、団長の粟遠奎さん92歳、陳掲芳さん93歳のお話を聞きました。ただ証言をしていただく時間が短く、空爆被害(お一人は多数の人間が押し寄せ酸欠状態になり多くの方が亡くなったケースでしたが)と、戦後の孤児としての辛い日々のお話を少し聞いただけで、日本政府を提訴した裁判のことまで詳しくはお聞きする時間がなく申し訳なく思いました。 続いて三峡ダム博物館で抗日戦争記念館を見学後、記録映画を視聴。大画面で戦隊を組んで襲撃する日本軍の絨毯爆撃の凄さを実感しました。その後抗日戦争勝利記念碑近辺で自由行動でしたが、ここは銀座か渋谷かと見まがうようなブランドショップがずらり並ぶ光景に「これが社会主義国の光景なのだろうか」と、添乗の中国人ガイドさんにお聞きしたら、改革・開放政策以降の中国は社会主義国とは言えないのではないかと答えられました。重慶は特別市として、潤沢な資金があるのか、高層ビルが林立する活気ある街でもありました。 23日は「重慶抗戦遺跡博物館」。蒋介石国民政府が、重慶を首都として日中戦争の指揮していた施設です。空爆に備えて地下には避難するためのトンネルが掘られていました。子どもたちも沢山見学に訪れており、蒋介石指揮下で国共対立の時代でもあったこの時代をどのように教えているのか興味を持ちました。 ![]() この日の午後は四川外国語大学日本語学院の大学院生との交流プログラムでした。どの学生も大変流暢な日本語を話し、また日本語、日本文化などの研究テーマへの真摯な態度が大変印象的でした。交流会の冒頭日本語学院副院長陈可冉教授の「今日は全国各地から、元教員の皆さんをお迎えでき、中でも神奈川県、特に藤沢市からも来てくれて大変嬉しい」という挨拶から始まりました。日本語学院の概要、その中で日本語学院の基礎を築いた2人の日本人が紹介されました。その一人石川一成さんは、神奈川県教委の国語科教員派遣1期生として四川外国語学院に1979年赴任し、日本語指導だけではなく、カリキュラム作り、大学院設立の基礎作りなどで大変世話になったと話されました。石川さんが藤沢の方という事で冒頭の挨拶があったのでした。陳先生が、歌人でもあった石川さんの著書を古本屋さん経由で購入したところハガキが入っていたと、県立藤沢高校のご友人宛てのはがきも紹介されました。私は、石川さんについて調べて何かわかったらお知らせすると副院長先生と約束してお別れしました。帰国後、ウエブ検索で石川さんを研究されている、筑波大学教授の田中祐輔さんを知り、メールを差し上げたところ、田中先生のお書きになった「日本の国語教育が中国の日本語教育に与えた国際的影響とその形成―故石川一成教諭の教育実践から―」を紹介いただいき、石川さんが重慶赴任にあたりたくさんの教材となる書籍や辞書類を購入、神奈川県も補正予算を組んで応援したこと、また石川さんは、1984年、厚木高校の教頭時代に飲酒運転のトラックにはねられ55歳で急逝されたこと、また1985年、没後制作さ れた重慶電子台と四川外大が制作した石川さんの追悼番組で「中国人にとって、石川先生は藤野先生と同じく偉大な存在である。我々は永遠に彼の名前を忘れることはないだろうと報じた(重慶電視台1985)と魯迅の藤野先生に比例えられていること等々がわかりました。また遺著になった『長江無限』(ながらみ書房、1985年11月)を入手(県民図書室にも入っています)。その中に略歴、重慶滞在中(1979年4月~1981年3月)の日記、妻の恭子さんの書かれた思い出が収められていました。石川さんは長らく湘南高校で国語科の教員として勤務するかたわら、歌人としても活躍し、地元の藤沢市でも短歌講座を持ち、多くの方の指導に当たっておられたそうです。また現地で紹介されたハガキは、帰国後、問い合わせたところ、石川さんの湘南高校の国語科同僚で大変親しくしておられた、高教組執行部として、また現在は日退教の役員として活躍されている畠山幸子さんの父上に充てたものであることが判明。実は幸子さんも高校時代、石川さんの授業を受けており、副院長が入手した書籍は、ご自分も持っているのでと、父上が亡くなられたあと蔵書整理したものであることもわかりました。海を渡ってハガキと一緒に重慶に戻った石川さん。何というご縁かとビックリした次第です。 こうして判明したことをお知らせするなど、重慶の四川外大の陳先生とやりとりを続ける中で、今年が四川外大の日本語学科ができて50年の節目にあたり、記念事業として、石川さんのお書きになったものを中国語訳し、教育者として、また歌人としての功績をトータルに中国で伝える事業に取り組みたいという意向がわかり、著作権の問題をクリアするための作業もお手伝いすることになりました。しかし大変残念なことですが、ご遺族の意向で、この四川外大の企画は進めることはできませんでした。 |
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日退協第14次沖縄交流団 報告
私は、時間とお金とチャンスがあれば沖縄に行きたいと思っている自称「沖縄病患者」で、若いときから、リゾートとしてではなく、戦跡を巡るためだけに来たり、修学旅行でも沖縄戦から学ぶことを1つの柱に計画したりしてきました。また、沖縄教組の年末のピースサイクリングに特別に入れていただき、ヘリパッド建設中の高江から辺野古の座り込みテントまで自転車で走ったこともあります。
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| 日退教組織活動交流集会報告 2025.11 10月10日ラポール日教済で開催された交流集会に参加した。はじめに組織部長の藤崎氏より2025年度組織現況調査の結果について報告がなされた。昨年度に比べて会員数は3,200人を超える大幅な減少となり、これまでは40,000人を超えていた会員数が37,514人となってしまった。現職組合員数の減少や、定年延長導入と再任用制度によって退職時期が明確でなくなっていることなど様々な要因があると考えられるが、会員数減少を食い止めていくことが喫緊の課題だ。女性の参画状況については全単会60の内42単会に女性役員がおり、複数の女性役員がいる単会は35で役員に女性の占める割合は着実に前進している。中には4年前まで女性役員0名だった単会で「女性30%」を打ち出し、今年実現した例もある等が報告された。 続いて、石川県支部の柿平氏から「能登半島地震を経験して ~3つの視点から~」と題して特別報告が行われた。 まず、医療介護院に入所中だったお母様のこと。発災後院内は停電し患者はロビーの床に寝かされて劣悪な状態に置かれていたらしい。数日後DMATによって搬送されたとの連絡が入ったものの搬送先がわからずしばらく行方不明状態だった。後に富山県内の病院に運ばれ無事であることが判明したが、その先どうしたらよいのかまったくわからなかった。行政からの連絡等は全くなく自力で様々な施設に出向いて受入れ先を相談するしかなかった。 次に地震と原発について。地震後土石流や土砂崩れで道は寸断され、倒壊した電柱・家屋が行く手を阻んでいた。自衛隊の車輌でさえパンクしてしまう道路状況で一般の車は走れるわけがなく、原発事故避難計画などまさに「絵に描いた餅」だ。その後、猛暑の時期に発生した水害では停電でクーラーが使えず、窓を開け水をかぶって暑さをしのいだ。原発事故で放射線を避けるために窓を閉めて屋内待機など絶対に不可能だと確信した。 最後に教職員共済役員としての立場から、発災後すぐに動くことができず危機への準備不足を痛感した等の報告がなされた。ご自身の経験を静かに話され、「親しい人を亡くした。一方で情けも受け取った。まだ混乱の中にいるが時は待ってくれない。」とまとめられた。 昼食休憩を挟み、午後は2つのグループに分かれてリポート報告が行われた。参加した第2分散会では、非常勤講師の待遇改善の取り組み(熊本)、島根原発運転差止訴訟の現状報告(島根)、岩国基地の現状と反対運動(山口)、築城基地の現状と私たちの課題(福岡)、 江戸川区教組夏の合宿“奥能登を訪ねて”(東京)の5つが報告された。 江戸川区教組のリポートでは、今年7月末に七尾市を起点に奥能登、能登町、珠洲市、輪島市を訪ねて発災から1年半の現地を歩いた経験が豊富な写真を添えて丁寧に報告され、現地のリアルな状況を知ることができた。仮設住宅生活の現在の問題、建て替えできず解体もされないままの旅館、復旧は進んでいるもののいまだにS字に曲がり波打つ一般道、震災後の子どもたちのカウンセリングの必要性や学習面だけでなく生活リズムや心理面のケアが重要なこと。さらに珠洲市の原発予定地の現場見学等、たいへん興味深い報告だった。質疑 応答では、午前中に特別報告をした柿平氏から原発の計画を撤退させた珠洲支部の闘いについて紹介される場面があった。1980年に北陸・関西・中部電力の3社が新会社を設立して珠洲市への原発誘致を表明し、珠洲市の市長選では推進派、反対派の候補が激しく争った。推進派の候補が勝利したが、後に開票数が投票総数より多いという不可解な事実が判明して選挙の有効性を巡って裁判となった。最高裁まで争った結果、選挙は無効とされ原発は撤退した。しかし長い間の対立で市民の分断があまりにもひどかったため、反対派は高らかに「勝った」とするのをやめて住民みんなで未来を見ようと努力してきたとのことだった。能登半島地震の後、珠洲市に原発建設計画があったが反対運動があって計画が撤回されたことを初めて知り、もし珠洲原発が動いていたら・・・・・と心底反対運動に感謝したことを思い出した。原発は撤退したものの地元が分断された傷の深さ、それを乗り越えるために大変な苦労があったことなど直接お話を伺うことができ、貴重な時間であった。 (平山泰子) |
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| 日退教第51回定期総会報告 2025.11 本年6月6日、日退教定期総会が開催された。前回より定期総会は財政上の理由から隔年開催となったため、2023年以来の開催である。 最初に、今期で退任する竹田会長より挨拶があり、組織問題と、戦後80年はすなわちジェンダー80年であることや、年金改革問題、組織問題などに触れて、さらに、7月の参院選挙で4期目を迎える水岡俊一氏の支援が強く呼びかけられた。 運動方針では、マクロ経済スライドによって年金改定率2.3%が1.9%に下げられたことの問題、日本の軍事大国化への強い懸念、特に九州・南西諸島への長距離ミサイル配備、軍事費大幅拡大に強い懸念が示された。また、定年延長と再任用問題が組織問題へ影響を与える事に伴い、組織財政に影響を与えることが示された。しかし、それら対策には具体性が欠けていた。というのは、各県組織で、日退教と退女教と組織が二つに分かれていることについての問題について、統一への方針化ができない問題である。組織方針の中で、ジェンダー問題、女性会員の拡大、女性の運動への参画の問題が強調されてはいるが、この最大の男女分裂の問題が解決できない限り、組織問題の前進は無いだろう。また、日教組の組織の減少も退職組織の減少に大きな影響を与えている。もちろん、子どもの減少もあるが、連合運動の中で闘わない労働運動が影響を与えていることは間違いない。その一つに、「消費税の廃止」について運動方針には全く触れていないことを指摘できよう。 各県からの発言は17の組織から発言があったが、組織問題と平和の問題が最も多かった。組織問題は、各県ともかなり深刻で、高齢化や会費徴収の困難さから、組織の維持が困難となっている組織も出始めている。滋賀からは、多忙化の中で、日教組組織の減少が進んでいることや、我々の活動が地域での支持の拡大に繋がらない悩みが出されていた。それに関して、北海道から、職場の多忙化を進めている元凶の「給特法」の負の遺産を残してしまった我々の責任を認識するべきだ、と言う指摘もなされた。 平和の課題では、広島県・高から被爆二世の被爆者援護法適用除外の問題、高齢化が進む中で被爆者の体験の継承が課題となっていることや、6月19日の天皇来訪時に、小学生に提灯を持たせて迎えさせた問題が報告された。北海道からは、日高での地対艦ミサイル発射訓練や、沖縄から、辺野古工事が進んでいること、また、ミサイルの配備、港湾・空港の整備による戦争への準備が進められ、12万人の県民の九州への避難計画が進められていることが報告された。高知では、米軍戦闘機F35が、民間空港である高知空港に着陸した まま42日間も居座ったという報告もあった。岡山から、朝鮮学園への補助金停止が、さらに幼稚園の無償化の中で差別化が進められようとしていることが報告された。新潟からは、柏崎刈羽原発再稼働反対署名が14万筆も集まったものの、県議会では否決され、また連合は署名に協力しなかったという。 埼玉から、狭山事件の故石川一雄さんの追悼集会が開催されたこと。私からは、リニアや外環道、京都の新幹線計画の「大深度法」による公共工事が、地域住民を無視して進められていることなど、地域課題への取り組みの必要性について発言した。 このように活発な意見交換が行われた上で、運動方針が全会一致で承認された。ともあれ、竹田会長、長い間ご苦労様でした。(神高教シニア運動副代表 早川芳夫) |
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| 日退教第13次沖縄交流団報告 ―続く「植民地的な状況」― 2024.12 12月2日と3日、「日退教の沖縄交流団」に全国から14名で参加しました。 第一日目は、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」の共同代表・高里鈴代さんの講演でした。23年12月の米兵による少女暴行事件が、沖縄県議会選挙が終わる6月まで日本政府により隠蔽され、沖縄の怒りが沸騰し、抗議行動が続けられていました。その後、12月22日には「米兵による性暴行事件に抗議し、基地撤去を求める」県民大会が大規模に県知事も出席して開催されたところです。 高里さんの講演「米軍基地と少女暴行事件」は、聞いていてショックでした。沖縄の米兵による女性暴行事件が繰り返されてきたことは知っていましたが、これほどひどいとは想像を超えるもので、沖縄の人々が置かれてきた過酷な状況を改めて知らされました。 沖縄の米兵の性暴力は、戦争末期沖縄に米軍54万人が上陸・占領した時から始まり、それが現在まで続いているのです。耳を疑ったのは、被害者が9か月の乳児・6歳の幼児などあらゆる年齢に及び、拉致、強姦、殺害、助けようとする家族も殺すということが繰り返されたのです。米軍の沖縄占領による無法状態は1972年まで続きましたが、復帰後も「日米地位協定」の下で、米軍には特権的な地位が保障され「植民地的な状況」(高里)が続いてきました。米軍の性犯罪がなくならないのは、米軍人が基地の中に逃げ込んでしまえば、多くは米国に帰って罪に問われないことが分かっているからです。性被害は、被害者が声を上げにくく、泣き寝入りや示談も多いのです。 沖縄には海兵隊の最大の基地があり、戦争になれば、先陣を切って殴りこむ部隊で、若い兵隊がいつ死ぬか分からない極限の精神状態に置かれ、沖縄の街に出てくるのです。構造的な性暴力と言われるゆえんです。「日米地位協定」と訳されていますが原文では「Statas of forces」であり、米軍(人)の特権的・治外法権的地位を定めたものです。地位協定の問題、属国日本政府の対応、沖縄の人々を馬鹿にした事実の隠蔽があり、基地問題に対する沖縄の人々の怒りと苦悩は、この性被害の問題に集中し象徴的に表れているのです。聞いていてショックでした。「性暴力は魂の殺人だ」ということが言われますが、髙里さんの講演を聞き、沖縄の人々の魂は繰り返し侵され殺されてきたのだと気づかされました。 二日目は、オスプレイが並ぶ普天間基地・嘉手納基地の視察、そして辺野古ゲート前での連帯の座り込み行動です。軟弱地盤の埋め立てが始められようとしていますが、そもそも完成不可能な工事で、これからどれだけの予算と年数を要するか分からないと言います。辺野古では沖縄の人々が、2014年から1日も休まず3803日目の座り込みを続けていました。沖縄の踊りのパフォーマンスもあり、私たちも元気に座り込み連帯してきました。11月には日教組・退女教が40人で来たということです。彼女らは、ごぼう抜きに対して腕を組んで固く離さず、頑として座り込みを続けたそうです。その武勇伝を辺野古の世話人の方がうれしそうに話してくれました。沖縄を孤立させるな、ミサイル基地を許すな、沖縄を戦場にさせない!私たちこそ声をあげなければなりません。 次回、みんなで行きましょう! (高田良衛) |
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| 「第6回福島学習の「第6回福島学習の旅」 2024.11 11月10日から11日にかけて昨年に引き続き福島県退教の協力を得て福島県の被災地を訪れた。神奈川からは日退教副会長畠山さんと林の2名が参加。福島県教育会館での学習会では國分俊樹(元福島県教組委員長)さんと「むのたけじ地域・ジャーナリズム賞」受賞者である山﨑健一(元福島県立高校社会科教諭)さんの講演を受講した。 國分氏は震災の翌年、郡山市で開かれた「原発いらない!! 3.11福島県民集会」(16000人参加)を開催するにあたり実行委員長の竹中柳一さんと共に尽力された方である。 國分さんは教育会館で被災されたが、生活は一変する。電気・水道・道路等ライフラインが寸断されガソリン不足が続く中、緊急重大事態にも拘らず、情報は「大本営発表」のみ、「原子力資料情報室」のネット配信が頼りだったとのこと。 教職員組合の組織としては 1.子どもと教職員の安全、被災教職員への対応を教育行政へ要請 2.原発・放射能・放射線情報の発信 3.郡山市教委に対し学校始業日を遅らせることを要請4月6日→4月11日に 4.県内教職員の勤務・労働条件に関する教育行政への申し入れ 5.被災地「フクシマ」の状況を全国発信 6.福島県平和フォーラムを中心とした集会の企画・運営 7.『放射能の危険と人権』明石書店20 12出版 日教組全国教研で「フクシマ」の食事情20 13を発表 以上、氏の震災後の主な活動を列挙したが筆舌に尽くし難い艱難辛苦を体験されたことは想像するに難くない。上記の竹中さんにはこの福島の旅で毎回案内をしていただきお世話になっているが、國分氏の講演で竹中さんはお母様を津波で亡くされていることを初めて知った。 山﨑さんの講演については紙面の都合で、会誌第42号(20 20 4. 17発行)の拙稿をご覧下さい。氏の講演は5年前にも受講したが、深刻な内容を時にはユーモアを交え軽妙に話されるので、自分が生徒に戻り授業を受けているような気持ちになった。 氏は ①「無知」や「無関心」、「想像力のなさ」が様々な不幸を生むこと。 ②人間は核物質や原子力発電を制御できないことが、3. 11の原発事故で分かった。地震・火山大国の日本で原発は危 険すぎる。知恵を出して代替エネルギーを考え、全原発を廃炉にすべきです。そもそも住民避難が前提の発電設備 =原発なんて変な話です。 ③原発政策を推進してきた国も自民党も原子力ムラの推進者も東京電力も3. 11の福島原発事故について責任を取ら ず反省もしていない。原発再稼働や稼働期間の延長、新設や輸出などは正に狂気です。 と、話されていた。 ![]() ところが、福島県では原発事故からまもなく14年経つのに7市町村で避難指示が続き、2万6千人(県外2万・県内6千)が避難生活を送っている。にもかかわらず政府は12月、「原発依存度を可能な限り低減する」政策から原発再稼働・増設に舵を切った。「想像力の欠如」としか言いようがない。 福島の原発事故はまだ終わっていない。國分氏も山﨑氏もデブリ取り出し=廃炉は不可能で、汚染水の流出を止めるには「石棺」にするしか方法がないのではと話されていた。 2日目は双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館、浪江町の震災遺構・請戸小学校・大堀相馬焼(20軒以上あった窯元)付近を見学・学習した。かつて山積みにされていたフレコンバッグはほとんど見ることはなかった。 福島のような原発事故は日本中どこにでも起き得る。その時どんなことが起きるかを再度学ばせていただいた旅であった。 (林純夫) |
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日退教2024年度第30回組織活動交流集会報告 2024.10 10月11日に組織活動交流集会が開催されました。この集会は各県の県退教や高退教などの組織が日退教に集い、日ごろの組織活動などを報告する集会です。午前は主催者挨拶、来賓挨拶の後2題の基調報告が行われました。 ①2024年度「組織現況調査」報告と基調 平野直比古(日退教組織部長) ②大阪府退教リポート 青柳隆・脇本ちよみ「大阪府退教は何が変わったのか?」 ~役員全員男性から女性参画で~ 来賓の梶原貴(日本教職員組合中央執行委員長)さんは挨拶の中で、寺島実郎氏と対談された時、寺島氏が日退教について熱く語られていた様子を報告されました。普通の退職高齢者組織は親睦中心の組織が大半であり、数ある高齢者組織で護憲・平和・人権を柱にして多くの組織活動や学習などしている組織はほかにほとんどない。大いに日退教に期待をしている、とのご発言に心を強くされたそうです。日退教の各単会は「教え子を再び戦場に送らない!」を基本理念として掲げ、退職後もこの旗印の元に現・退一致で活動しています。神高教シニア運動に翻ると組織活動についてはどうか。運動方針は神高教の本部方針に沿いながら、年度始に総会を開き前年の総括と今年度の活動方針を確認、日ごろの活動の報告はシニア会報やホームページなどにより会員の方々に報告しています。 ![]() 午後は2会場に分かれてそれぞれ7つのレポート、合計14本のレポートが出されました。中でも興味深いレポートは島根県退教の「能登半島地震は警告する! 迫る12月の島根原発2号機再稼働! 仮処分裁判で見えた島根原発の危険性と行政追随の司法」でした。原発の耐震性が志賀原発600ガル、プレハブメーカーの一般住宅の耐震基準が3000ガル以上と地盤の性質などで、単純に比較はできないものの数値だけ見ると愕然とさせられました。※ガルは地震の揺れの強さを表す加速度の単位で震度6強は約400ガル程度です。 (永井光夫) |